信念を持ち、信念に従って生きたいだけだろう

ここ数日、なんで生きるのかをずっと考えていた。自分の中で割と吹っ切れた感があるのでしっかり言葉にして残しておく。

こんなことを考えるのは精神がおかしいとかそういうのではなくて、定期的に考えたくなる波がやってくる。就活が佳境で自分の今後の立ち振る舞いが見えてきて、やっとしっかりと当事者意識を持てたからこそ悩んでいるんだと思う。遅すぎではあるが、本当にその立場にならないとなかなか本気で体感できないのでまあ仕方ない。

まあ本題に戻ると、なんで生きるのかという問い。基本的には死にたくはないが、別にゴールがあるわけでもないので、なんでと問われると困る。基本的に死にたくないから生き続ける必要があって、その理由は別になんでもいいし各個人が設定できるし別に設定しなくたっていい。論理的に答えを探そうとする性格の人からすれば、答えがない問いに真剣に向き合うと精神衛生上よろしくないから、なるべく考える必要がない状態を作るべきだと最初は思った。つまり、

  • 目の前のことに必死になり続けられるようタスクが常にある道を進み続ける
  • 正解を作ってしまう(何かを信仰するなど)

の2通りあると考えた。

エンジニアの道を選んだのも前者が理由で、やりたいと思えそうなことが多そうで終わりがなさそうな道を選んだ結果エンジニアだった。ただ前者は、ふと気付いた時に考えてしまう。”俺ってなんで生きてたんだっけ?何かやりたいことってあったっけ?”と。

後者は一見完全なる思考停止のようであって、実は考え方次第ではそんなことはないなと思った。つまり、確固たる信念を持って自分の意思でいろいろなことを決定して行動し、その信念からなる行動規則に則って自分の行動を評価すれば良いのではないかという結論に達した。

これまで自分の信念という信念はなかったように思う、まあコアな部分はもちろんあるけど。なのでまずは信念を形成し、理想の行動規則を作ろうと思う。もちろんそれは都度改善はしていくが、基礎的な、ファンダメンタルな部分を固めておけば大きくぶれることはないだろうと思った。

何かこういうのが企業とか組織が大きくなっていくときにも起こる論なのかなとか思ったし、自分が行きたいなと思った企業に惹かれた理由は多分こういうことをずっと考えてきたからなんだろうなと思った。

ずっと悩み続けた1月だったけど、やっと少しだけ視界が晴れた気がする。自分の信念に関してはまた別途書くけど、とりあえずスタートとして、”丁寧に行動すること”と”ちょっとだけ新しい挑戦をしてみること”をまず大切にして実践してみている。ただ、信念というとそういうのではなくてもっと一言で言い表せる何かな気もするのでまあ実践して検証していこうと思う。

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください